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サラリーマン社長の限界 ゴーンさんが痛々しく見える

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トヨタ、ソフトバンクオーナーには配当がある

ゴーンさんの突出した報酬と比較して、大企業オーナー社長の報酬が少ないことを比較対象として出すと多くの人をミスリードすると思っています。

トヨタ自動車の豊田さんやソフトバンクの孫さんが給料をそれほどもらっていないことを、記事にするメディアがあります。しかし、サラリーマン社長の報酬を比較の対象に出すのであれば、配当についても触れるべきだと思います。

会社オーナーも生活費は必要ですが、月収百万円もあれば、たいていの人の衣食は足りてしまうので、生活にかかる費用については、どれだけ贅沢したいかという、その人の個人的な性質に依存することになると思います。

会社が拡大していれば、株主であるオーナーの資産は増え続けます。それを現金化出来ないところが悩ましいところで、使うことは出来ません。ただ、本当に困ったことになったときには、会社を手放すつもりで株を処分すれば、現金にすることはできます。

従って、報酬としては受け取っていなくても、企業の規模が拡大している限り、資産としては増え続けるので、十分に報われるし、そもそも、おそらく豊田さんにしても孫さんにしても、贅沢をすることについては、それほど関心がないような気がします。

ゴーンさんはフローだけ

サラリーマン社長の場合には、どんなに業績が良くても、資産としての株式は持てず、いつまでたっても、報酬というその年限りの収入を得るだけ。

しかしながら、それが所有と経営の分離というやつで、経営能力の高い人物に会社を経営してもらうことによって、資本家は資産を増やすというしくみは、小学生が学ぶ社会科の参考書にも書かれている共通のお約束ごとです。

富裕層に生まれつかなくても、努力と運と才能があれば、ゴーンさんのように、大企業のトップになれるということは、江戸時代のような身分制度で縛られた社会と比較して、格段に優れています。

ゴーンさんも、自分で会社を起業して拡大すれば、豊田さんや孫さんと同じ立場になれたのでしょうが、起業して会社を大きくするよりも、出来上がった仕組みに乗じてそこで報酬を得るほうが、自身には向いているとの決断から、プロ経営者になる道を選んだのでしょう。

初めから独立を念頭にする華僑

中国の人たちがすごいと思うのは、はじめからどこかに所属して、そこでどうにかしようとは思わないらしいこと。

政治が不安定で、いつどうなるかわからない中で生き抜いてきたという、ここ百年以上にも渡る華僑の皆さんの経験則から導き出された知恵なのだとは思いますが、誰も誰かの下で働き続けようとは基本的には考えないらしいのです。

日本もその制度を真似た、科挙という試験制度もありますが、これもこのような制度に乗ることのできる身分に生まれた人たちの処世術。今でいうと共産党幹部の家に生まれた人たちの処世術とも言えるでしょうか。

日本でも開成から東大法学部へ進学する人たちが数多く官僚になっていくようですが、自分の得意な試験制度を利用して、確実に報酬を得るというのは、試験が得意な人たちには良い方法です。

ゴーンさんもフランスのグランゼコールに進学することが出来たので、フランスのプロ経営者のコースに入ることが出来たわけですから、そこを飛び出して、わざわざ起業をするというのは、もったいないと考えることは当然です。

初めから持っている人たち

私のまわりには、生まれつき持っている人たち、という友たちがいて、そのような人たちは、将来そうなるのかな、と思うような人生を、想像したとおりに歩んでいきます。

そのような生まれつき持っている人たちは、ゴーンさんのように、報酬を目立たないようにしなければならないとか、もっとほしい、といった、背伸びをするようなことをしなくても、始めからすべてが揃って身の回りにあるので、自分のやりたいことをやりたいように追求する傾向があるように思います。むかしで言えば貴族のような人たちですね。

そういう友達がまわりに何人かいると、こどものころから、自分にはなくて、彼らにはある、ということは理解していますから、特にうらやましいとも思わなくなります。

わたしのように何かをしようと思っても、失敗すると家族を路頭に迷わせるかもしれないという危険性がないので、人生にスリルがないのではないかなと、少し気の毒に思ったり、親が会社の社長であれば、親の跡を継がなければならなくて、詩人になりたくてもなれなかったり、漫画家になりたくてもなれなかったり、といった不自由さと引き換えにしていたりすることも見えてきますので、人生は等しく平等に出来ているなと思ったりもします。

何を求めるのか

むかし、パルコだったと思いますが、広告で、インドで人が犬に食べられているシーンを使ったポスターを作ったことがありました。藤原新也さんの写真を使っていたように記憶していますが、そのポスターのコピーが斬新でした。

「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」

森羅万象こうあるべきということはなくて、人はどこまでも自由に生きられる、ということをそこで思いました。

私には路上生活をして、最後犬に食われてしまうかもしれないほどの人生の可能性があるけれども、おそらく生まれたときからすべてが周りにある友たちに、そのような可能性は極めて小さい。犬に食われたいと思っても、まわりの人がそうさせないことでしょう。まわりの人たちにとってもマイナスになるのであればなおさらです。

そうなりたいかどうかは別として、どちらが自由かと言えば、持っていないほうがおそらく自由でしょう。そう、私にはお金はないけれど自由ならある。

お金はあったほうがいいけれど

そうは言っても子供が三人もいると、教育費はかかるし、家も家族五人で住めるところに住まなければならないし、そうなれば、ワンルームマンションに住むわけにもいかなくなるし、古いアパートに住んでいれば、肩身の狭い思いを家族はするし、自分自身は気にしていなくても、家族には世間体というものがあるので、最低限度の生活は確保してあげなければなりません。

おそらく私一人であれば、もっと時間を自分自身のことに使っていたと思いますが、結婚して子供が出来て、世間体のためにいろいろと今まで自分には無縁であった、自分の価値観とは相容れない世界に身を置き、毎月月給を頂いて生活を支えてきましたが、これは世のお父さんなら誰もがしていること。

世の中には、やりたいことをしなさい、という無責任なアドバイスが溢れていますが、やりたいことなんて実はなくて、偶然目の前に現れたことを続けていくうちに、やりたいことになっていくのだと最近思うようになりました。

だって、生まれたときの赤ちゃんに、やりたいことなんてなかったはず。

生まれたかっただけ。そこから先は自由なキャンバス。

やりたいことを見つけてやらなければならないなんて、とっても不自由な気がします。

最近は目の前に現れたことを、順番に対処していくのがいいのかなと考えるようになりました。人生は、案外いい具合に、目の前に意識していなくても、課題が現れてくるものです。

限られた時間

人生五十年、と、信長が舞って散っていった年齢を過ぎ、未だに右往左往している自分自身は滑稽でもありますが、これこそが自由というものの本質であるようにも思っています。

医者になってしまえば、医者をやめてほかの何者かになることはやりにくいし、官僚になればそこをやめて別の何者かになることはやはりやりにくい。

役所の言うことを聞いていれば、数年おきに退職金が何千万円ももらえるのに、そこをやめて旅に出たいなんて、思っても出来ません。

錯覚させている暇もしている暇もない

残された時間を考えてみれば、いかに等身大の自分と向き合い、自分自身がどのように生きたいのかを考えないと、といった焦燥感にかられます。

ネットを見ていると、錯覚資産を作ろう、といったことばが流布されていて、一体何のことかと思えば、自分を大きく見せて、有利な人生を送ろう、短くまとめるとそのようなことになるのではないかと思います。

言いたいことはわかるのですが、人生も半ばをすぎると、どうでもいいことだとあとで思うと思うよ、と思います。

人の錯覚を利用しようとすると、人からよく見えるように振る舞おうとします。本当は文字を書いているのが楽しくても、世間体のいい有名企業のサラリーマンになったりします。

自分自身は何一つ変わらないのに、働いている会社名や役職で扱いが変わる。

そうしたことにあまり関心がないのは、価値観を共有する、私がどうなっても態度を変えない、こどもの頃からの友人が何人かいるからでしょう。幸せなことです。

美味しい生活とは何?

ネットを見ていると、ギラギラした人が大勢いて、バブルの頃のお立ち台を思い出します。当時は六本木のお立ち台で目立つことが、その辺の人達の目標だったのが、いまはそのなかのある集団の末裔がネットのお立ち台に移行してきているのかな、と思っています。

いまもむかしもお立ち台とは無縁の生活を送っていましたので、ディスりディスられる生活は望んでいませんが、その様子を遠くから眺めているのは、嫌いではありませんでした。

自分とは違う人が目の前にいる。この人達はどのような事を考えて、どのような生き方をしたいのだろう。犬に食われることをどう思うのだろう、といったことを考えていました。

平凡な生活の幸せ

あと何回桜が見られるのか。二十回か、三十回か。そう考えると、一年一年が貴重です。

おじさんになると、桜の花がきれいだなと思うようになります。

家族が集まるだけで嬉しくなります。

いまもむかしも私はなにものでもないひとですが、極めて幸せな毎日を過ごしています。

むかし、社長になりませんか、と言われたことがあって、よくよく考えてお断りしたことがあります。

自分には向いていないし、ならなくてよかった。受けていれば、結果的に迷惑をかけたに違いない、そう思います。

お断りしたことでご迷惑をおかけしたし、その影響は後々にまで及びました。

最近、友人知人が社長になることが多く、あのときの心境をときどき思い出します。

社長になることは、そんなに楽しいことでもない。

その仕事を追求したい人にとっては、幸せにつながるかもしれません。でも、そうでない人にとっては、抜け出せなくなるかもしれない蟻地獄への一歩、となるかもしれません。

サラリーマン社長なら、やめたいときに交代してもらうことが出来ます。でも、オーナー社長の場合、一生逃げることが出来ません。

どのような立場にも、いい点悪い点があるものです。

以上「サラリーマン社長の限界 ゴーンさんが痛々しく見える」でした。

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